「いま、伝えたいこと」 Words of Wisdom

いま、伝えたいこと 1 観音さまと水

※1 法華経
正式には『妙法蓮華経』
※2 般若心経
正式には『般若波羅蜜多心経』

観音さまっていったいなんでしょうかね。そもそも観音さまの教えとはどのようなものなのでしょうか。日頃とても多くの方々からそんなご質問を頂き、私もあらためて考える機会が多くございます。しかし、考えれば考えるほどに観音さまのお姿がいくつも浮かんできて私も困っているのです。「60年近くも仏道にありながらいまだにそんなことを言っているのか」と皆様からお叱りを受けるかもしれませんね。といいますのも、観音さまには決まったお姿がないのです。

観音さまの教えは『法華経(※1)』と『般若心経(※2)』という経典に主に説かれています。『法華経』では観世音菩薩、『般若心経』では観自在菩薩と訳されていますが、いずれも同じ観音さまのことです。

「音を観る」と書いて観音さま。音とは世の中のすべてをあらわし、観音さまとは見えるもの、聞こえないものも自在に見聞きして救いの手を差し伸べてくださるという意味です。

また、観音さまの「観」は主観、つまり自分自身の心をあらわします。「音」は客観、これは周囲や他人のことですね。つまり、観音という言葉には「私とあなた」という意味もあります。

私たちは主観を通して物事を見ています。向かい合った相手がどのような事を考えているのか、自分は周囲からどのように思われているのか。人間は皆、観音の世界に生きているんですね。ただ、私たちは目に見えるものに影響されがちで、他人の心やこの世の真理までをもはっきりと「観る」ことはできません。そこへいくと観音さまは大らかな視野で偏りなく自由自在にこの世界を観ておられます。これが『般若心経』に記されている「観自在」の意味です。私たちは言うなれば「観不自在」といったところでしょうか。

この世は観音さまだらけ

観音さまが物事を観るときに基本としておられるのが五観です。

一 「真観」真実の心で見る、真理を愛する心 二 「清浄観」私利私欲のない清らかな心で見る、利他を重んずる心 三 「広大智慧観」あらゆるものを大きな視点から差別なく見る心 四 「悲観」優しい愛をもって他者と苦しみを分かち合える心 五 「慈観」厳しい愛をもって他者とともに喜び合う心

この五観の根本にあるのが「慈悲の心」です。
観音さまはこの世の生きとし生けるものすべてを救うため、その姿を三十三身に変えられるといいます。周囲の友人や家族、たまたま電車で隣り合った人。この世の中は私たちを救おうとしてあらゆる姿に変身した観音さまだらけなんです。

自在に姿を変える、水の化身

以前、ある参詣者の方からこんなお話を伺いました。 とある小学校で「お母さんの絵を描きなさい」という授業があったそうです。子供たちがみな思い思いにお母さんの顔や全身を描くなか、ただひとり、目が不自由な男の子だけが紙いっぱいにいくつもの手を描いたそうです。その数なんと26本。びっくりした先生が「これがお母さん?」と尋ねると、その子はうれしそうに「これはご飯をつくってくれる手」「これは背中を流してくれる手」「これは枕をしてくれる手」とひとつひとつ説明してくれたそうです。

この男の子にとっては日々自分を世話し、生かしてくれるさまざまな手こそがお母さんだったんですね。私はこの話を聞いたとき「これは、千手観音さまのことや」と心を打たれました。

当山の御本尊でもある千手観音さまが持つ40本もの腕は、ありとあらゆる手段を尽くして一切衆生を救おうとする慈悲の象徴。まさに、あの手この手で我が子を助けるお母さんの手と同じなんです。

千手観音の象徴でもある40本の手には、衆生の救済のためのさまざまな持物が。

仏教では自然を構成する「地・水・火・風・空」を五大元素とし、観音さまは水の化身とされています。千手観音さまもその手のひとつに水瓶を持っておられますね。観音さまと同じく水にも決まったかたちはありません。清流では優しく流れ、冷やせば固形になり、熱すれば気化して空に帰っていく。周囲の状況によってどんどんその姿を変えていくんです。そう考えれば水の化身である観音さまに決まったお姿がないのも自然なことです。

観音さまはあなたであり、私でもある。これからの人生で出会うだろうまだ見ぬ方々も、私を救おうとしてお姿を変えてあらわれてくださった観音さまです。

当山へご参詣の際には、音羽の滝から流れ落ちる水も、隣り合って柄杓を手に持つ方々もまた観音さまとお考えください。

合掌

観音と水

清水寺貫主 北法相宗管長

1940年京都市清水に生まれる。15歳のとき清水寺貫主、大西良慶和上のもと得度・入寺。1988年に清水寺貫主、北法相宗管長に就任し、現在にいたる。