「知られざる清水寺」 Kiyomizu in Depth

知られざる清水寺 2 音羽山ワンダーランド

※1 絵解き
仏画などを使って法話を解説すること。
※2 重軽石
願い事を祈念して持ち上げ、自分の予想よりも軽ければ叶うと伝えられている。

「清水寺参詣曼荼羅」という絵図をご存じだろうか。

16世紀半ば、戦国時代の頃に描かれたと伝えられるもので、一枚の絵のなかに数ある堂塔伽藍がくまなく配置され、これでもかと清水寺の魅力が詰め込まれている。

境内に咲き誇る桜や、本堂舞台に押し寄せて洛中の眺望に感嘆する人々の表情など、当時の清水寺の賑わいがいきいきと描かれている。また、寺内だけではなく五条橋から清水坂へといたるまでの参道の風景や、門前の茶店で一服する参詣者なども描かれており、今日と変わらず参詣へといたるまでの道程も人々の大きな楽しみであったことがうかがえる。

参詣曼荼羅はおもに地方へ布教に赴いた僧侶たちによって絵解き(※1)に用いられたというが、これを目にした人々はさぞかし遠い清水寺への参詣に胸を膨らませたことだろう。

観音信仰の霊場として古くから名高い清水寺は娯楽の殿堂でもあった。世情が不安定で楽しみが少なかった時代には、美しい風景に感動し、珍しい寺宝に驚き、美味しい団子を食べて一日が終わるなんて最高の贅沢だったのだ。

そして、その本質は現代も変わらない。

参詣を楽しむ人々の様子が描かれた「清水寺参詣曼荼羅」。当時の世相風俗を知る資料としても貴重だ。

娯楽の殿堂として

参詣する者を存分に楽しませる清水寺の思想は今もしっかりと息づいている。いや、むしろ参詣曼荼羅が描かれた当時よりもそのエンターテイメント性は上がっているのではないだろうか。

そのことは伽藍の構成によくあらわれている。広大な清水寺の境内は、参詣者が順路に沿って巡るように設計されている。まるで回遊するかのごとく境内を歩くなかで、感動や驚きに溢れたスポットがいくつも用意されている。清水寺の見どころは舞台や音羽の滝だけではないのだ。

実際に参道から境内を歩き回ってみよう。

五条通から清水坂を上がってくると左手にあらわれるのが経書堂と善光寺堂だ。まずは経書堂前の「重軽石(※2)」で参詣の肩慣らしを。善光寺堂前に安置されている「首振り地蔵」では恋する人の方角へぐるりと首を回転させて恋愛成就を祈願していこう。

仁王門をくぐって左手に進むと成就院と弁天池、右手に進むと三重塔を過ぎて経堂と田村堂があらわれる。どちらも必見だが、いずれの道も本堂への入り口となる轟門の前で合流するので、往復で違う道を選ぶのが良いだろう。

回廊を進むといよいよ本堂だ。

入り口に突然現れるのは「弁慶の錫杖と高下駄」。大錫杖が重さ90キログラム、鉄製の高下駄は12キログラムだという。いつも力試しにチャレンジする参詣者で賑わい、さすがは剛力で名高い武蔵坊弁慶と皆感嘆するが、いずれも明治期に奉納されたものなのであしからず。

本堂外陣に入ってすぐ西側に安置されているのは、背丈1メートルを超える巨大な大黒天像。朱、黒、金の漆塗で彩られた満面の笑みがご利益を期待させる通称「出世大黒」だ。

大願成就とともに奉納された絵馬の数々は、各時代の美術・工芸技術を今に伝える。

また、本堂の壁面を見上げるといくつもの大きな絵馬が掲げられていることに気付くだろう。通常、絵馬といえば神社だが、古くから清水寺は大型の扁額式絵馬が多く奉納されている。

題材は武者絵や世相風俗、伝承などさまざま。これらを描いたのは各時代に一線で活躍していた絵師たちであり、絵馬の観賞は参詣者たちの大きな楽しみでもあった。清水寺は美術館の役割も果たしていたのだ。

見どころはまだまだある。

釈迦堂を横目に阿弥陀堂、奥の院へと続く道を進むと「お砂踏み場の宝筺印塔」が見えてくる。この塔の周囲には全国各地の霊場から集められた砂が敷き詰められており、塔の周囲を一周するだけでなんとすべて霊場に参詣したご利益を得ることができる。見逃さずにきっちり立ち寄っていこう。

音羽の滝に着く頃にはそろそろ足の疲れが気になる頃だが大丈夫。まるで千手観音のようにあらゆる手を尽くして参詣者を楽しませる清水寺には休憩ポイントだってもちろん用意されている。ここからの道には5軒の茶屋があるので、帰路につく前にしっかり休んでいこう。なかでも舌切茶屋と忠僕茶屋は、幕末の動乱期に非業の死を遂げた人物に縁のある店なので、それぞれの物語に耳を傾けるのも良いだろう。

なぜ音羽山麓に清水寺が創建されたのか。それは現在の風景からも学ぶことができる。

清水へ参る道

見どころには困らない清水寺。何周しても新しい発見があなたを待っているだろう。そして、2周目にはどうか少しだけ目線を上げてみてほしい。東山山麓の豊かさ、四季のあらわれ、時間の移り変わり。およそ1200年前、この音羽山に清水寺がつくられた当時の想いを感じることができるのではないだろうか。

清水道を往く参詣者のなかには、記念写真も撮らず足早に歩く人の姿がちらほら。単身で軽装なところを見るとおそらく近隣にお住まいの方だろう。

ある方は、本堂の本尊正面へ。

ある方は、音羽の滝へ。

毎日の習慣として、観音さまにその日あったことを報告し、手を合わせに来る方々だ。

清水寺とはつまり、そういう場所でもある。

音羽山ワンダーランド

文筆家 米原有二

1977年京都府生まれ。京都を拠点に伝統工芸・伝統文化を対象とした取材・執筆活動をおこなう。著書に『京都職人』『京都老舗』(ともに共著・水曜社)『京職人ブルース』(京阪神エルマガジン社 )など。京都造形芸術大学非常勤講師。