「いま、伝えたいこと」 Words of Wisdom

いま、伝えたいこと 2  観音さまと水

※1 大西良慶(1875−1983)
興福寺住職、法相宗管長を経て清水寺貫首に就任。日本宗教者平和会議会長をつとめるなど宗派、宗教を超えて世界平和の実現を呼びかけた。

私が仏門に入ったのは15歳のときでした。

親元を離れてひとり清水寺にやってきたときは本当に心細かったことをよく覚えています。

「兄弟はたくさんいるのにどうして自分が選ばれたんだろう。ご飯をたくさん食べるから口減らしだったんだろうか」

そんな思いもあって、自分は両親に愛されていなかったのではと寂しい気持ちにもなりました。

修行僧ばかりの集団生活にもなかなか馴染むことができず、つらい思いをしていたところ、あるとき食事中の私に師である(※1)大西良慶和上が「しかし、お前の茶碗は大きいなぁ」と話しかけてきてくださったのです。

貧しい時代でしたから、入寺する際に持参した荷物などはほとんどありません。ただ、ご飯茶碗だけはまるでどんぶり鉢のように大きく、立派な蓋付きのものでした。

「お前は内気な子やから、きっとお母さんは『慣れない寺の暮らしで何杯もおかわりするのは恥ずかしかろう』とこれを持たせてくれたんやろうな」

和上のその言葉に、なかば両親に捨てられたような気持ちだった私がどれほど救われたかわかりません。

無心に手を合わせるだけでも誰かの助けになることがある。

「縦の愛情」と「横の愛情」

肉親の愛情はとても献身的なものです。見返りなど求めず、ひたすら相手のことを思いやるこの気持ちは、誰もが生まれながらに持っている「縦の愛情」です。そして観音さまの教えのなかでは、この愛情を他人へと広げていくことの大切さを説いています。つまり「横の愛情」ですね。

親が子を、子が親を愛するように、隣の人にも深い思いやりを持って接すること。これを仏教の言葉で「施し」といいます。

仏教で語られる施しには大きく分けて3種類あります。

「財施」 お金や物を必要としている人に与える 「法施」仏法を説き聞かせ、精神的な助力になる「無畏施」人の恐怖心を取り除き、心に安らぎを与える

いずれも大切なことですが、誰にでもできることではありませんね。

では、財力や知恵がなくては他者の助けになることができないかといえば、そんなことはありません。雑宝蔵経という経典には、たとえなにも持っていなくとも人間は他者に7つの施しをすることができると記されています。これを「無財の七施」といいます。

一、「眼 施」優しい眼差しで人を見つめる 二、「和顔悦色施」おだやかな表情、笑顔をする 三、「言辞施」やわらかな言葉遣い 四、「身 施」身をもって人の手助けをする 五、「心 施」周囲に心を配り、思いやりの気持ちで接する 六、「床座施」座る場所を譲る 七、「房舎施」安息できる場所を提供する

どれも簡単で、当たり前のことばかりですね。

向かい合った人に「おおきに」と声をかけるだけでも施しです。

仏教はとかく難解に考えられがちですが、その教えの本質は日々を気持ちよく過ごすための工夫なんです。

そして、私はこの「無財の七施」に加えて、誰にでもすぐにできるもうひとつの施しがあると思っているんです。

それは「耳施」。相手の話をじっと聞いてあげることです。

悩み事やつらく悲しい話に耳を傾けて頷いてあげるだけで、相手の苦しみは半分になります。また、楽しい話をともに喜んで聞いてあげるだけで、そのうれしさは倍になります。

私には法話などを人前でお話をさせて頂く機会がよくあります。

私にとっては聴衆の方々に一生懸命お話をすることが法施ですし、皆様にとってはその法話を一生懸命に聞いて頂くことが耳施です。立場は違えど、同じ会場の中で互いに愛を与え合っているんですね。

向かい合う人間の感情は共鳴します。同じ瞬間を過ごし、相手と気持ちがひとつになることがすなわち「観音」です。

誰にでも理解できて、すぐに実践することができる。それが仏教の教えであり、観音さまの慈悲心です。

どうか「無財の八施」を心に置いて生活してください。

互いを支え合う気持ちが、思いやりに溢れた社会をつくる原動力となるはずです。

合掌

無財の七施

清水寺貫主 北法相宗管長

1940年京都市清水に生まれる。15歳のとき清水寺貫主、大西良慶和上のもと得度・入寺。1988年に清水寺貫主、北法相宗管長に就任し、現在にいたる。